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ブログを書くには、言い訳する世界が必要だった

 六本木時代のぼくは、たぶん毎日かかさず一本、二本、くそみたいに長いブログを書いていたと思う。『らららぎの亡霊たち』で、インターネットアーカイブ検索をかければ出てくるようにはしてあるが、ほとんどの記事はアーカイブ上からもキャッシュごと消してしまった。陽気とはなにかとか、元気とはなにかとか、折衷とはなにかとか、約束とはなにかとか、勉強するとはなにかとか、そういう日常的な概念に挑み続けていた時代だと思う。

 最近は「ブログを読みたい」という声がわずかながらあがるようになって、まだ読みたいひとはいたんだなと純粋に嬉しかった。別にネタが切れて書かなくなったわけではないし、むしろネタは増え続けていて処理しきれていない。処理能力の問題でもないし、言語化の問題でもない。時間の問題もどうにかできるし、時間を言い訳にするにしても、あまりに書かなくなりすぎたと思う。

 じゃあなんで書かなくなったのという問いにふさわしい答えとして、「言い訳する世界がなくなった」というのがある。ぼくがブログをあれほど熱狂的に書いていたのは、学んだことを消化したいわけでもなく、PV数を稼ぎたいわけでもなく、広告収入を獲得したいわけでもなく、出会いを求めているわけでもなく、知識を披瀝することに躍起になっていたわけでもなく、単に誤解されるのがこわかったからだと自己分析する。

 いまは、よくもわるくも、誤解をされないで済むようになった。あるいは誤解されてもいいような付き合いかたをメインにしているのかもしれない。そのあたりの自己変容はまだよくわかっていないけれど、とにかく「誤解をとくためにあれこれ言わなければならないじぶん」というのを喪っているのだと思う。

 病気のひとは、もしかしたら共感してくれるのかもしれないが、たとえばナルコレプシーのひとは「居眠り屋」と誤解されやすい。「おまえはどこでも寝るよな、昨日ちゃんと寝たの? 自己管理しな」と言われる。それが怖いとか、面倒とか、弁解しなければならないような事情がある場合、いっしょうけんめい「いやこれはナルコレプシーという睡眠障害で」という話を繰り返すことだろう。

 「恋人作らないのなんで? ふつうにしてればできるよね。結婚する気ないの? 将来のこと考えてる? というか恋人できないひとって友だちがそもそもいない人だよねww それか汚いとか下品とか、人間としての出来に問題があるとか。なにか極端に欠陥があっても、同じレベルの恋人を作れるはずだし、君ってやばいよ」と誤解されるのが怖いから、なぜだれとも交際しないのかを思想に昇華しようとしていたのかもしれない。

 その活動が実を結んで「しまった」おかげで、ぼくの周りのひとはぼくに対する保留的な態度がすさまじい(と、ぼくのほうからはそう見える)。これはぼくが望んできたことで、ひたすら言い訳してきたことで、誤解をいちいちおそれていたあれやこれやの言説の、それなりの結実だと思う。ありがたいことに、数年の友人は、変わらず友人のままで、とても理解しながら保留してくれている。保留しないことの不都合を優先的に解消してくれている。感謝してもしきれない。

 繰り返しになるが、その結果としてブログの必要性がなくなった。文章は同人でも商業でも書いているし、ツイッターにも書いている。このあいだは「小説家になろう」にもアップした。文章は書けている。それがブログである必然性というのは、かつて、あるいはいまも、誤解を恐れる自意識だったと思う。

 「ブログをまたやってよ」という読者のかたに対してぼくができる努力があるとすれば、それは「交友関係を広げて、また誤解されそうになること、そして誤解されることをひどく恐れること」でしかない。少なくともいまはあまり誤解をおそれていないので、「未来のじぶんに過去を誤訳させないためのブログ」として書いていこうと思う。

しーゆーれーらー
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